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西国八十八か所札所巡り 旅日記

 

23.05.06

 

コロナ禍による行動制限がゴールデンウイーク明けの5月8日解除と政府からの報道がされた。 3年近く長く暗いトンネルからやっと抜け出したのである。

このタイミングを待ってここ数年あたためていた四国八十八か所札所巡りを挙行することにした。「一念発起 (いちねんほっき)」「発願(ほつがん)」である。

東京 有明より徳島行きのフェリーは出港する。2日前には予約が必要でゴールデンウイークの5月5日は休業とのこと、 5月6日の切符をネット上で予約できた。

19:30発なので6日の14:00 ダイハツハイゼットの愛車軽トラックに寝袋と布団を荷台に積み我が家を出発である。南風が強く高速道路であおられて、時速80kmで走るのが精一杯、今夜の船旅が海が荒れるのでは?と心配になる。

フェリーの利用の仕方がよくわからないので出航4時間前に有明オーシャン東九フェリー徳島行きのりばに到着、出発まで待合室でくつろぐ。

予定通り「りつりん号」は定刻19:30分出航した。

やや白波がたってはいたがほとんど船は揺れず、船内の大浴場でゆったりと波間をながめながら入浴、2等客船の下段のベッドで休み、夕食後睡眠、翌朝休憩室でカップラーメンを食べ、昼は船内で販売している助六寿司をチンして食べた。

 

5月7日(日)13:20 定刻に徳島着である。

下船後、頼りにしているスマホをスピードメーターわきに設置、これからの道中案内はすべてグーグルナビに頼ることとした。

一番札所は 霊山寺(りょうぜんじ)、徳島市内、四国三郎と謳われる吉野川河口をわたる。天候は1mm程度の小雨。

霊山寺でお遍路に必要な線香440円、ローソク550円、菅笠(すげがさ)1980円、白衣(びゃくえ)1760円、輪袈裟(わげさ)1380円、金剛杖(こんごうづえ)1650円、納め札(白い紙)100円を買いそろえる。

記念の写真撮影。右は3番札所金泉寺にて、元気な様子を家族にラインで送る。

 

 

 

小雨もふるので無理せず、5番札所までで、鴨島地区の駅近くにある「セントラルホテル鴨島」に宿泊、ビジネスホテル(税込み6000円)なので外食、大阪王将でちゃんぽんを食べ、朝食用のおにぎりをセブンイレブンで買い求める。

 

5月8日(月)

明くる2日目は天気も上々、快調に6番から一気に17番札所まですすむ。12番札所「焼山寺」は海抜800mほどにあり、まがりくねった狭い山道を延々1時間ほど走り、やっと到着したと思いきや、また急な坂道を徒歩で10分ほど歩いて ようやく到着である。13番札所大日寺を過ぎたところで1回目の燃料補給24ℓ、17番札所から40分ほど車を走らせ徳島市から南のはずれ小松島市の「民宿ちば」 (一泊二食税込み5,800円)に宿をとる。

四国山脈をかいくぐるように諸寺が連なる。山あいにある寺は当然道も狭く、石段を上っての山門から本堂に至るのがほとんどである。

参拝の仕方はまず山門をくぐり手水舎で手と口を清める。次いで鐘楼の鐘を1回搗くのが作法のようだが、これは省略し、本堂に向かう。ローソクを立てて火をともす。次いで線香を3本点火して線香立てにさす。賽銭箱に用意しておいた100円玉1個を投げ入れる。合掌し、南無大師遍照金剛を3回唱える。そしてお経を読む。わたしは省略型で「般若心経」と「回向文 (えこうもん)」だけを読み上げる。上手にそらんじてお経を上げる人も多いが、わたしはたどたどしく一字一句をおいかけながらの般若心経、「回向文」は大師堂でも読み上げる。

「願わくはこの功徳(くどく)を以って 普(あまね)く一切に及ぼし 我等と衆生(しゅじょう)と 皆共に仏道を成(じょう)ぜん」

本堂に続いて、大師堂でもローソクと線香、賽銭、読経を行う。ここまで終ったら、納経所に行き、納経書にそれぞれの札所の署名書き込みをしてもらって(300円)完了である。納経所の受けつけ時間が午前7時から午後5時まで、1分でも過ぎたら受付ないのであらかじめ1時間前には最終訪問札所をどこまでと決めておかねばならない。またコロナ解禁ということで少しずつお遍路さんも増えつつあるようだが、宿の手配も2日前には予約の電話を入れようと思う。この夜の民宿は18番札所恩山寺近く のお遍路さん専門の宿、宿屋のご主人も扱いに慣れている。宿泊客10人前後。

 

5月9日(火)

昨日同様雲ひとつない青空。

21番札所「太龍寺」幾重にも重なる中国山脈、遍路道は車での侵入は危険ということでロープウェイで頂上近くまで。海抜600m太龍寺山に位置する寺である。

 

 

18番札所から室戸岬を経由し25番札所津照寺まで一気にすすめる。23番札所薬王寺から24番 札所最御崎寺までは75km、左側に群青の空と紺碧の海を見ながら快調に車を走らせる。この間高速道路はないのだが、国道55号線(小松島ー高知)は約60〜70kmのスピードで ほとんど信号もなく対向車も少なく、快適なドライブである。海洋町海添い道の駅日和佐でソフトクリームを食べ休憩する。

この青い空と海を見ると、弘法大師がなぜ空海と名乗ったかが理解できる。

右の写真は室戸岬にある24番札所最御崎寺の境内林、数百年かけて自然のまま安定した状態のタブの木を主木とした極相林である。

 

 

 

この夜は25番札所津照寺から数百メートル南に面した小さな漁港のあるお遍路宿「太田旅館」に泊まる。 全国旅行キャンペーン対象、宿泊代20%引きとお買い物クーポン2,000円ゲットする(一泊二食税込み5,600円)。ありがたい。

 

5月10日(水)

朝8:15スタート、今日も雲ひとつない快晴。いよいよ高知市内へと向かう。実は高知はわたしにとっての第二のふるさととも言える青年時代の記念すべき時をすごした土地でもある。・・というのも、ちょうど私は20才の誕生日を迎える時、大学を中退し、一端父母と同居で稼業を継ぐ形で家にはいったもののこのまま自分は親の力を借りながら漠然と一生を過ごすのか?煩悶の日々を重ねていた。今父母の元気なときに自分を社会に放り出して自分がどこまで自力で生きられるのか?自分が本当にやりたいことって何なのか?掘り下げて体感したい衝動にかられ、書置きをして家を 出て東海道線に乗り、京都の友人を尋ねてから宇高連絡船で四国にわたり高知に行き着いて、宿を確保。職安を尋ねてパルプ工場での職を得て4ヶ月暮らした思い出多い土地である。

まず当時の思い出を浮かべつつ。

仕事場の仲間と5月の新緑のとき、ちょうど今頃の季節、高知市内から北へ約20kmにある梶が森(標高1,400m)に日帰り登山をし、その豊かな四国の山波の思い出の地を尋ねること。26番札所金剛頂寺を皮切りに スタート。28番札所大日寺から往復3時間半の寄り道で梶が森頂上まで細い山道を車であがる。頂上は予想通りさわやかな風が流れ小鳥のさえずり、真っ青な空と四国ならではの景観、実に55年ぶりに懐かしい光景である。左の写真、梶が森山頂から の風景、右の写真は梶が森の中腹、吉野川大歩危上流の清らかな清流。四国は「聖地」、坂村真民さんのいう「詩国」だとつくづく思う。

 

 

帰路、近くの大豊村、大杉道の駅に立ち寄り、日本一の大杉を拝観する。何と樹齢3,000年!

 

 

ここから 高速道路で高知市内に向かい29,30そして31番札所竹林寺・・市内にそびえる五台山にある寺だ。今テレビ朝ドラで話題になっている牧野富太郎記念館も隣に最近できたばかりである。私が20才で滞在中、ちょうどお花見時期で仕事仲間で皿鉢(さわち)料理を囲んで五台山のお花見をおこなった思い出がある。

この夜は高知県庁近くのビジネスホテル「オリエントホテル高知」(税込み6,200円)に宿泊、部屋にマッサージを呼び、足腰を揉んでもらう。

 

5月11日(木)

青春時代の逗留地は高知駅から2つ目の旭駅、その駅前に立地する「若竹旅館」であった。朝一番にこの地を尋ねると駅前開発のため3年程前に市に買収され当人はどこかへ引っ越したと近所の人の言であった。市電の通り近くにあったよく通った喫茶店「四季」も今はその跡形もない。この高知での月日は金銭的には豊かでなかったが、こころの解放感とこの明るい太陽、あけっぴろげな高知人の人柄、そしてかけがえない友人たちに恵まれ、充実した時間であった。

ここから桂浜へと向かい、海添いに車を走らせ、32〜34番札所「種間寺」を経由し清流で有名な仁淀川河口へと回り道をする。左の写真は桂浜西側の土佐湾、右が仁淀川河口。とにかくすばらしい天気。

かつて明治維新に坂本竜馬がこの土佐湾から水平線のかなたを見て、世界の中の日本の夢を馳せた海でもあろう。

また土佐といえばカツオ、カツオと言えば藁(ワラ)で焼いたタタキは土佐の名物だが、鹿児島枕崎とならんで鰹節の産地でもある。

世界遺産としての日本の和食、和食の命は新鮮な食材とともに出汁(だし)の文化と言っても過言ではない。その出汁の原料として鰹節と昆布は欠かせないが、もう一品、「あごだし」・・・である。土佐の全国でも有名な漁獲量はカツオと並んでトビウオがある。このトビウオからとった出汁は天下逸品、その上品な味は日本料理に欠くことができない。四国、九州で珍重された 「焼きあご」「あごだし」の料理は今や、日本全体から世界へと波及しようとしている。その意味でこの土佐湾は貴重な海の資源でもあるのだ。

 

 

四国で温泉は道後以外それほど有名なところはないが、数日前にネットで高知近くの温泉を調べたところ、北西へ国道33号(高知ー松山)高知から越智町を経由約20km 仁淀川町に中津渓谷、「中津ゆの森」(税込み17,300円)という温泉宿があるのを見つけ、電話すると離れのちょっと料金が高い部屋が空いているという。ここに予約を入れ、36番札所青龍寺までお参りして渓谷の宿にはいる。

 

 

5月12日(金)

この朝の時点で我が家をスタートした時0(ゼロ)のトリップメーターは800kmをさしていた。今回の札所巡りの約半分を消化したといところか?少し旅の疲れが出て来る頃だが、はじめの3〜4日は石段をあがるのに100段もあがると息切れして足が動かなくなったが、ここにきてずいぶん足腰が丈夫になってきたような気がする。何より、昨夜の温泉はずいぶん効果があった 。

四国巡礼の旅は別名「同行二人」とも言うという。頭陀袋にも「同行二人」と書かれている。つまりお遍路には弘法大師さんがいつもおそばに居られて支えてくれているというのである。確かに、急な石段を数百段あがっていくと息も絶え絶えになりもうやめようかと思う時、この同行二人の文字を見ると励まされて、もう少しだ!頑張ろうと思える のだ。「こころの在りようがその人の生き方を決める」・・・日頃つぶやいている言葉もいざ苦しいとき、同行二人だから大丈夫と思えるので、実証される。

ゆの森の宿 を発ってから約50kmで37番札所岩本寺に到着。ここから国道56号線沿いに四万十川(左の写真)、土佐清水にはいり321号線で足摺岬(右の写真)へと向かう。ここでも青空と美しい川と海。

 

 

 

38番札所金剛福寺(左の写真)はわたしが食道ガンがみつかる直前、妻と四国一周の旅をしたとき訪れた寺とそのすぐ遊歩道の先にある足摺岬灯台はまだ記憶に新しい場所でもある。寺の真向いの食堂できつねうどんの昼食をとる。ここから宿毛市を経て40番札所観自在寺、愛媛県へとはいる。宿屋は観自在寺のすぐそばの山代屋(税込み4,500円)である。お遍路宿でたまっていた洗濯物をたっぷり洗濯機を使わせてもらう。

 


5月13日(土)

四国に上陸してから1週間が経過した。また温泉宿を探してみると45番札所岩屋寺の近くに天然温泉 国民宿舎「古岩屋荘」があるという。ここに予約が取れたので今夜はここを 目指して進むことにした。

今日は 3日前に電話をしておいた宇和島の商友、赤松修二さんを午前9時に尋ねる約束である。わたしが商売の道に進む決意をして約10年、42才のとき、もう一度商売を原点から学び直そうと考え、東京神谷町にあった「商業界」主催のRMS(リテール・マネージング・スクール)3ヶ月間、1回に約40名の全国から応募した経営者や会社の幹部候補生が学ぶ場所に参加した。そこで知り合った友達のひとりがこの赤松酒店の主人赤松修二氏である。

約20年前、私が坂村真民さん(当時ご存命であられた)を尋ねたときにもこのお店を訪問しているので2度目である。

 

 

 

われわれの地方スーパーマーケットがそうであるように日本中の酒店のほとんどがこの30年間に淘汰された。ナショナルチェーン のスーパーマーケットとコンビニエンスストアー、衣料品、ドラッグ、ホームセンターの業態店のみがあるのみである。

そうした中でわが食品スーパー「村の市場」そして「赤松酒店」はよくぞ消滅せず生き延びてきた。すばらしいことだと思う。

それは彼の真実の商い、真心の接客とセンスの良さ、勉強と努力の結果だとわたしは信ずる。赤松酒店は明日の母の日を前に奥様が担当する花売り場は魅力あふれるすばらしい展開 。店名も単に酒店でなく「PICASSO赤松」である。30分ほど見学させてお話を伺った。ありがとう!奮闘を祈りつつ別れる。

みかんの産地宇和島、伊予灘に添って北上する。41から43番札所明石寺を経て内陸にはいり進むこと延々87km44番札所大寶寺に至る。

ここからかねてより楽しみにしていた坂村真民さんの記念館がある砥部町を訪れる。まず目標であった砥部焼のコーヒーカップ、お皿を購入する、町の入口に位置する砥部焼観光センター炎の里と砥部焼販売協同組合の店で数点の気に入りを購入する。

7年前、妻と四国旅行した際は八幡浜から松山までの予讃線を観光列車に乗り、食堂観覧車の車両で「伊予灘ものがたり」と称する旅であった。一名坊ちゃん列車とも呼ばれた。ここでコーヒータイムを過ごすのだが、そこで出されたコーヒーカップ・・・砥部焼が気に入ったデザインが忘れられず、今回の旅でどうしても砥部焼の店に立ち寄ることにしたのである。

そのあと坂村真民記念館へ。ボランティアガイド安平様(写真右)がていねいにマンツーマンで坂村真民さんについて20分ほどお話くださった。これも弘法大師さんのおかげかと思う。四国が生んだ偉大な詩人坂村真民さん、この純粋なこころを大切に持ち帰りたいと感じた。

坂村真民さんの「念ずれば花ひらく」はあまりにも有名だが、今回わたしのこころに響いた詩を紹介しておく。

 

「あとからくる者のために」

 

あとからくる者のために 田畑を耕し 種を用意しておくのだ

山を川を海を きれいにしておくのだ

ああ あとからくる者のために 苦労をし 我慢をし みなそれぞれの力を傾けるのだ

あとからあとから続いてくる あの可愛い者たちのために

みなそれぞれ自分にできる 何かをしてゆくのだ

 

鳩寿二(九十二) 真民

 

 

 

45番札所、きつい坂道をあがっての岩屋寺参拝で疲労気味の後、目的の国民宿舎「古岩屋荘」(一泊二食税込み9,150円)に宿泊、久万高原森林の中のホテルの岩風呂でゆったり過ごした。

 

5月14日(日)

朝8:30スタート、信じられないほど良い天候が続きます。46番札所浄瑠璃寺、47番札所八坂寺、以下写真

 

48番札所 西林寺

49番札所 浄土寺

 

50番札所 繫多寺

 

51番札所 石手寺

52番札所 太山寺

53番札所 圓明寺

このように真面目にひつひとつ確実に消化しています。52番札所から53番札所に向かう松山道を走っていたとき。偶然国の重要文化財道後温泉本館「神の湯」の前を通る。ここで日帰りの湯にはいらない手はない。近くのパーキングに車を停めタオル1本持って460円の 入浴料金でぜいたくな温泉三昧 。

 

 

道後からさらに瀬戸内海添いに今治に向かう。今治といえば「タオル」の産地で有名。タオル生産量最盛期の1970年代500社のタオルメーカーがあったがその後中国製の安い製品に押され100社まで減少。ここで対策として世界一のブランド「オーガニックコットン」の最上級品を作り出すことで今日の経営の基盤を作った。

量産の低価格を追うのでなく高付加価値の優れた製品を作り出すことで存続をはかる・・・資源の乏しい技術立国日本の世界で立ちゆくすばらしい見本例である。今治市内のタオル専門店を54番札所延命寺で教えてもらい土産の今治タオル10本購入する。今治から瀬戸内海を左手に見ながら新居浜方面に向かうのが素直なコースなのだが、ここで一昨日、道後と並び称される愛媛の温泉「鈍川 (にぶかわ)温泉」の存在をネットで知る。56番札所泰山寺まですすむ。

鈍川温泉でお客様の評価が高い和風旅館「美賀登」(みかど)源泉かけ流しの宿、ここが取れたので17:30山あいの宿屋に到着。予想にたがわず、部屋の調度、接客、風呂と温泉、周囲の景観、料理、お女将のこころ遣いなどすべてが満点のすばら しい宿なのであった。料金は税込み15,000円と一人宿泊なのに格安である。最高の満足感を味わい、翌朝、玄関前で女将と一緒に記念撮影となったのである。

 

 

5月15日(月)

四国札所巡りもいよいよ後半戦にはいってきた。車のトリップメーターは1,400kmを越えた。57番札所永福寺をスタートし、今日の最大目標、石鎚山を目指す・

今回の四国の旅ではできるものなら石鎚山登頂を成し遂げたいと思 っていた。一番安易なルートをとれば山頂までの登りに2時間半、登頂後降りに2時間かかるというから丸一日の予定を組んでチャレンジするつもりでいた。

しかし、12番焼山寺、21番太龍寺、45番岩屋寺などの急な石段200〜300段、坂道を上ること15分を経験して、息切れはもちろん、金剛杖にしがみついて休憩しながらやっと登る始末。とても石鎚山登山は無理と判断せざるを得ない体調と自分に納得せざるを得なかった。

石鎚山に至る横峰寺までの往復はかなり時間を要するので午後をその時間に充てようと目論み、午前のうちに57番札所→58番札所→(以下順番変則)62番札所→61番札所→63番札所を済ませ、昼食を横峰寺に至る休憩所でとることに順番変更した。63番札所吉祥寺から車で坂道をあがり60番札所横峰寺を目指す。中腹から横峰寺専用道となり料金所で750円の通行料を払う。休憩所までで (昨夜宿泊の美賀登の女将がにぎってくれたおにぎりで昼食)あとは車は乗り入れできず約20分山道を歩いて横峰寺到着(海抜750m)。斜面一面にシャクナゲが植栽され 、よく境内が整備 されていた(写真右)。

普通はここまでだが、あえて奥の院を目指す。山道を登ること30分、星が森(海抜800m)に着く。ここが石鎚山を遥拝する場所。石鎚山にいくらかの雲がかかってはいたがはっきりと天狗岳、山頂を仰ぎ見ることができた。海抜1,982m 四国一の高さを誇る霊山、霊場である。この四国の山々を踏破し、修行の場とした弘法大師や先人たちに敬意を表した。左の写真の鳥居は高さ1mと 少しの低いものだがカメラの位置で石鎚山全体を背景に取り入れる構図とした。

登頂こそできなかったが素晴らしい天候の元、石鎚山を礼拝できて満足した。四国の旅の最大の頂点は坂村真民さんと石鎚山と弘法大師さんだと私は思っている。

 

 

 

山を降って64番札所前神寺にはいったのがぎりぎり午後4:45であった。

この日の宿は西条ステーションホテル(税込み5,800円)、その名の通り、西条駅のすぐ近くである。愛媛県全国旅行支援宿泊代20%引き、クーポン2000円対象の恩恵あり。

 

5月16日(火)

愛媛県での宿屋は温泉旅館が多かったせいか体調はすこぶる快調である。何よりもこの五月晴れというか天候に恵まれ、晴天と汗ばむ陽気である。これから香川県の最終章にむかうが、高知方面と異なり、瀬戸内海側はほとんど家並みが切れることがなく、ガソリンスタンド、コンビニに不自由を感ずることがない。

66番札所は雲辺寺ロープウェイをつかっての参拝。香川県にはいると雨量の少ないためか田んぼのあちこちにため池が見られる。 弘法大師が1,200年前に建設した「満濃池」はあまりにも有名である。

 

 

 

65番札所三角寺から71番札所弥谷(いやだに)寺まで車を進める。弥谷寺ではあえて苦しい方を選び下の駐車場から約300段の石段をあがりそれから山門をくぐって200段近くの石段をのぼった (左の写真は百八つの煩悩を払う108段の急な石段)。約30分、きついが大師同行なのだと自分に言い聞かせ、乗り切る。そしてこの日の宿は「大師の宿 ふれあいパークみの 天然温泉」(一泊二食税込み7,700円)である。

 

 

5月17日(水)

昨夜はマッサージを受けてからだが軽くなる。73番札所出釈迦寺をスタートに善通寺に向かう。弘法大師がお生まれになったという土地柄、善通寺市善通寺町、75番札所善通寺は八十八か所中、最大の規模の建物、伽藍である。弘法大師生誕1,250年祭の催しが行われてたくさんの僧侶と信徒でにぎわいを見せていた。宗教の圧倒的政治力を感じさせるお寺である。

 

 

香川県は讃岐の国、讃岐といえばさぬきうどん、78番郷照寺でおいしいさぬきうどんの店を教えてもらう。はやっている店はいずれもセルフの店で、コシの強いもっちり手打ちうどん 。これにぶっかけや温と冷やしがあり、1玉が小、1玉半が中、2玉が大になっており、トッピングで天ぷら各種、とり天など、サブメニューとしておいなりさん、おでんなどがある。私がはいった店も昼どきで駐車場は30台くらいの繁盛店であった。讃岐地方の田んぼは裏作で小麦を作っており、これは国産小麦を原料にさぬきうどんを県が奨励しているためだという。

 

 

 

さらに車を進めて 瀬戸内海に面した坂出市、その北側に位置する81番札所白峰寺に至る、この寺に参拝後 休暇村五色台ホテルに宿をとる。ちょうど日没近く本州と四国をつなぐ瀬戸大橋を見下ろす立地。 波静かな瀬戸内海に沈む美しい夕陽。今回の旅は本当にすばらしい天候に恵まれた。右の写真が白峰寺。

 

 

今回の旅の発願のきっかけになったひとつに若い時読んだ本の一説に歌舞伎役者市川団蔵の物語がある。八代目市川団蔵は昭和41年、84才で歌舞伎界から引退宣言、その足で四国八十八か所巡礼の旅に出る。すべての寺院巡りを終え、坂出港から出航した船上から波静かな瀬戸の海、播磨灘に身を投げ、一生を終える。その歌舞伎役者として一人の人間としてあまりにも美しい最期に感動したのをずっと私の頭の隅にあった。人はどう生きるか?どう職業に終止符をうつか?人生の最期をどう迎えるか?
これは高齢化社会を迎える現代日本の大切なテーマだとわたしは思う。その回答は人それぞれだが、今回の四国の旅では、石鎚山を遥拝した横峰寺奥の院での風景、そしてこの讃岐五色台から瀬戸内海に沈む夕陽のふたつは自分にとっての極楽浄土の世界を見たような感動を覚えた。

休暇村五色台ホテルはツインのベッドルーム、ビュフェ形式の夕食と朝食はとてもおいしく、特に夕食時に出た明石の鯛の鯛しゃぶは最高だった。最期に小豆島でゆっくりくつろぐことも視野に入れていたが、このホテルの環境に大満足、(一泊二食税込み19,500円)・・・そこで明日82番から88番札所大窪寺をもって最終章にすることとした。

 

5月18日(木)

2週間前、家を出るとき、この四国 札所八十八か所巡り、自ら運転での軽トラック、果たして最期まで無事旅が続けられるだろうか?正直不安に満ちていた。だが、今こうして巡礼の旅最後の日を迎えることができた。弘法大師さんの力添えはもちろん、旅の途中で家族、友人らが励ましの言葉を送ってくれた。どんなに心強かったことか。

82番札所根香寺、源平の戦いで有名な屋島壇ノ浦の屋島寺を経て87番札所長尾寺にてお土産用讃岐うどん2食入り12袋購入する。午後3:45最後の88番札所大窪寺到着、仁王門入口にある茶店にて甘酒を飲み一息つく。

 

 

納経所にて結願証を書いてもらう。この四国お遍路の旅・・・長年自分のこころの奥にあたためてきた願い。7年前の食道がんステージWを乗り越え、運よくいのち永らえ、今こうして88番札所に立つことのできる達成感と喜び!何事にも替えがたい人生の記念塔でもある。この旅は日頃それほど意識することのない宗教、そして仏教、真言宗空海の教え、この道中いつもともに行動し、過ごした時間を通じて。肉体は鍛えられ、精神は感謝と心のささえがどれほど大切なものかを知らされた。

人は簡単に「悟り」の境地に達することはできないが、日々のこころの在りようがその人の一生を決定する・・・とあらためて感得したように思う。本来ならばこの後、高野山に詣でて八十八か所結願(けちがん)の報告をすべきところだが、自分としてはこの証をもってひとつの区切りとしたい。

 

 

 

西国八十八か所札所巡りは徳島を始めとして、高知、愛媛、香川の4県をまわって完結するように描かれている。その間、どのお寺さんもお参りする人を迎え入れる体制作りはよく整備されている。あらゆる人種と宗派を越えて、精神と肉体の修養道場としてすばらしく仕組まれた伝統ある行事である。何回かに分けて参加する方法、ツアーに便乗するやり方、自分でレンタカーを借りる、あるいはタクシーを利用する、あえて徒歩で挑戦する、いろんなやり方があるが、どんな方法でも自分の時間と体力に合わせたやり方で一度は試してみたらよいとおすすめ したい。そこから何を得られるかはその人次第と思う。

 

この日17:30大窪寺を出発し、最終宿を手配してあった徳島市内 センチュリープラザホテル徳島に宿泊(全国旅行支援対象:税込み7,800円)。ホテルに到着した途端小雨が降り出した。四国にいた12日間、最初の半日 小雨が降っただけで残りの日々すべて快晴であったのは奇跡である。あらためて弘法大師さんと二人同行のありがたさをかみしめる。

 

5月19日(金)

ここまで車のトリップメーターは1,800km(自宅から有明までを含む)、四国に上陸してからは1,600km程度と思われる。ガイドブックによれば素直に全コースを車で回ると1250kmと書かれているから、わたしはかなりの寄り道や迂回をしての旅であったことがわかる。ガソリンは120ℓ 2万円 強(@165円)、1ℓ当り15km走行、フェリー有明=徳島は往復6万円、総経費お賽銭各寺に本堂100円、大師堂100円、納経料300円、駐車料金 (200円全体の4分の1か?)をお支払い、奉納した。それらすべてを含めて33万円の支出であった。他の参加者への参考になればありがたい。

フェリー乗り場に午前9:30到着、出航は11:20(オーシャン東九フェリー有明行きはスマホで3日前に予約済、往路はかなりの乗客だったが復路は空いていた。曜日の関係か?)
波高く和歌山の突端串本まで船は大きく揺れた。(浴室のお湯がザブン、ザブンとこぼれ出す状態)酔い止めの薬を用意してあったので5時間おきに3錠飲む。あわせて睡眠薬も。

房州白浜に安房の国一の宮「安房(あわ)神社」がある。この神社の本家格は鳴門の「阿波(あわ)神社」である。遠い祖先は四国阿波からカツオや魚を追いかけながら黒潮に乗って漁船をあやつり、房総半島に上陸して国を開いたのであろう。・・・いろんな種を蒔いて「粟(あわ)」がよく採れたのであろう?

四国徳島と南房総は血を分けた兄弟分でもある。徳島のいくつかのお寺さんでそのことを話すがまったく興味を示してくれなかった。お遍路旅を通じてもう一度お互いの市民の交流をはかってみてはどうか?
 

5月20日(土)

船内で熟睡できず ちょっと頭がもうろうとしていたが午前5:30 東京有明港到着。そのまま一路自宅に向け走行。午前7:00無事自宅帰還。愛犬太郎が出迎えてくれる。

よい旅であった。